戦後処理責任を果たさず
―報道の追及も不十分 6月定例会
6月の定例会は19日、運営委員の岩崎建弥さんが「新聞は戦争をどう伝えてきたか―戦後問題を中心に」のテーマで、中国東北地区(旧満州)に奨学金を届けるボランティアに行った時の見聞を導入部に、1930年代に中国に侵攻した日本と、それをあおった報道の責任について具体例を挙げて説明した。岩崎さんは、終戦後も中国に毒ガスを遺棄したままだったり日中両国の犠牲者への補償をしないなど、日本は戦後処理の責任もまったく果たさず、報道の追及も不十分だったと指摘した。
■国交回復遅れ戦後も犠牲者
岩崎さんは5月の中下旬に、ボランティアの仲間13人で約300万円の奨学金を瀋陽、長春、ハルビンの高校生らに届けた。1人当たりでは五千円で、経済成長の著しい中国ではかつてほど貨幣価値は高くないが、ある高校生は「困っている人を救う医者になるため頑張りたい」と感謝してくれた。
中国東北部には日露戦争時代の旅順の堡塁や大砲、乃木・ステッセル会談の水師営、日中戦争が本格化するきっかけとなった柳条湖事件を記念する瀋陽の「9・18記念博物館」、日本軍の細菌兵器研究の731部隊跡など戦争史跡が整備されている。731部隊の展示施設には部隊長の石井四郎を表彰する日本の新聞が展示されていた。
岩崎さんは中日新聞岡崎支局に勤務していた1969年、中国で毒ガスを捨てたという男性を知り、ガスがボンベから流出する恐れがあるとの記事を書いたが、本格的処理は国交回復後で何人もの犠牲者が出る結果になった。
■戦争で部数伸びる
新聞は明治維新後、数年で各地に日刊紙が創刊されたが、一般家庭に行き渡るのは日清、日露戦争のころ。郷土部隊の動向を知るためだ。日中戦争が本格化すると、新聞は従軍記者を増やし武勇伝や英雄伝の報道合戦を展開するが、大部分は軍の発表通り。上海事変直後の肉弾3勇士事件は、工兵隊の3人が爆弾の導火線の処理に失敗したというのが実態だ。
毎日新聞は「南京侵攻に向かう陸軍将校2人がどちらが先に敵(中国人)100人を斬るかを競っている」と称賛する記事と写真を掲載した。報道が戦争をあおっていたのは間違いない。
■豹変した報道、戦争責任に向き合わず
昭和17年6月のミッドウエー海戦の大敗以来、日本軍大本営はうその発表ばかりするようになったが、国民に「負けることはない」と神懸かり的に信じさせたのは報道の力もあった。それが敗戦を境に、新生日本、民主日本とコロッと変わった。
ドイツでは敗戦後、新聞社は全部解体されたが、日本では天皇制と新聞は残る形となった。シベリアや南方に残った兵員をどう日本に帰すか、食料難の中でいかに食っていくかといった目前のことにとらわれ、戦争責任と向き合うことがなかった。
1950年に朝鮮戦争が始まると国内の治安を維持するとして警察予備隊を発足させ、保安隊、自衛隊と昇格させ、再び軍隊をつくった。当時の吉田茂首相は「戦力なき軍隊」と言い繕ったが、戦後日本のさまざまな問題を象徴的に残してきた。
日本は戦後、被害に遭った民間人への補償は一切なく、全国調査すら実施していないが、昭和27年に軍人や軍属への恩給、援護法を復活させ、自民党の票田にしてきた。
■戦時法は民間人補償を規定
実は戦時中、日本には戦時災害保護法や防空法で民間人への補償規定があり、女性がけがをすれば補償をするとの項目まであった。しかし、戦後の日本政府は、民間人は国との契約がなく、内地は戦場ではないとの理由で補償を拒んできた。
昭和48年に松坂屋で名古屋大空襲展が催されたと同じころ、戦争でけがをした人の全国集会が名古屋で開かれ、会場に入りきれない何百人という人が集まった。それ以来、民間人への戦災補償を要求し続けているが、国は無視し続けたままだ。戦争被災者は高齢化し、既に亡くなった人も多い。ドイツでは1950年の連邦援護法でけがや死亡した国民を平等に保護する規定があるが、日本の役人を論破できない国会議員や知識人、学者は情けない。
岩崎さんはこのほかに「置き去りにされた戦後処理」として▽原爆被害者▽従軍慰安婦▽韓国・朝鮮の女子挺身隊(動員工場労働者)の救済を挙げた。
■若者のエネルギー生かす道
岩崎さんはドイツのワイツゼッカー元大統領の「過去を見ようとしない者には現在も見えない」との言葉を引いて、歴史に学ばない日本人と日本の報道姿勢を強く批判。今の経済から見捨てられたフリーター達の「何か起きた方がいい」というエネルギーを生かす道を提供できるのか、報道が問われていると結んだ。
■9条に則して戦争の予備・陰謀に罰則も
この後の話し合いで、刑事法が専門の平川さん(当ネット代表)は、法学者の立場から「法律も、明白に新憲法に違反する部分以外は明治時代の刑法典をそのまま継続させるなど、戦中、戦後の連続性を保った。法律面で戦争に協力した裁判官は誰も辞めることなく、法学者もほぼそのままの地位にとどまった」と指摘し、「ドイツが戦後、憲法が侵略戦争を禁じたのに合わせて侵略戦争の企図を罰する条項を刑法に置いたように、日本も憲法9条に合わせて戦争の予備・陰謀等を罰する条項を刑法に置くのが筋だった」と平和を法律の面から固める考え方の一つを示した。(文責・山本)
05 July
2007
2007
6月例会のご報告
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活動報告
