12 January
2007
報道被害ネットが協賛した「東海の会」のシンポジウムのリポート記事

予断、偏見のない報道を
 裁判員制度の問題探る―「東海の会」シンポジウム

 当ネットワークが協賛する「マスコミと人権を考える東海の会」のシンポジウム「犯罪報道でゆがむ?裁判員制度―犯人視報道の問題点を探る」は12月9日に開かれ、2年半後の裁判員制度実施を前に、公判前整理手続きを経験した弁護士の澤健二さんが制度を説明し問題点を挙げ、パネリストの元朝日新聞論説委員で名古屋学院大助教授の渡辺斉さんと中京大法学部長の平川宗信さんが、警察・検察による被疑者逮捕=事件解決といった印象の犯罪報道を批判し、裁判員への予断や被疑者・被告人への偏見を植え付けることのない報道を望んだ。
■弁護が困難に
 澤さんは、刑事裁判の目的は①誤判をしない②無実の人を罪に陥れない③罪を犯したなら適切な刑罰を科す―ことだとし、憲法はそのために適正手続きや法廷公開の原則を保障していると説明した。
 裁判員制度の対象は重大な刑事事件で、2004年を例に取ると全国で約3300件。愛知県では240件ほど、年間で1500人弱が裁判員になると予測した。選任手続きは最高裁のイメージ案だと、年末に選挙人名簿から裁判員名簿を作って質問票を出し、欠格事由のある人を除いて名簿を確定。起訴があると、その中から15-20人に裁判当日に裁判所に来てもらい、最終的に6人を選ぶ。その日から審理を始めるようだが、適正手続きというより裁判員の負担低減を優先している。公判では事実認定も量刑も裁判員、裁判官を合わせた9人の過半数で決まる。
 澤さんは弁護士として、実際の裁判での手続きに問題があると懸念する。裁判員制度の導入を前提とした公判前手続きで全ての証拠を出して公判の筋書きを作り、裁判員の前ではショーを見せる感じになると予測。被告人が勾留されたままだと接見に時間がかかり、公判に入ると新証拠を出せない決まりがあるなど、弁護士としては「たまったもんじゃない」決まりと言う。証拠と保釈が適正でないと、警察で書いた調書が出されなくなり供述の変遷が読み取れないなど弁護活動は難しいと痛感している。
■裁判がショーに
 現在、裁判所や検察は、公判が裁判員に分かるようにとスライドを使った説明など練習に余念がなく、弁護士会も良い印象を得られるよう服装やしぐさの研修をするというように、「裁判員に見せるショーになっていくのかな」と裁判の在り方を危惧する。
 制度では裁判員やその周囲の人たちに、評議の内容や他の裁判員の氏名など広範な守秘義務を裁判が終わってからも課しており、公開原則に適合するのかや裁判の論評や批判ができなくなる問題点も指摘する。
 犯人視報道による裁判員への影響について、最高裁のパンフレットは「議論を通じて先入観が解消され、証拠に基づいて判断していただけるよう努める」というが、1974(昭和49)年の幼稚園児2人が亡くなった甲山事件では市民で構成する検察審査会が、検察庁が不起訴とした保母に対し不起訴不当と決めて、無罪確定まで21年かかった。この時は「暗い青春時代の女」とか「間違いでも主張通す」といったマスコミ報道が、審査会の人たちに影響を与えたのではないかといわれている。そういうことが裁判員制度ではないとは言い切れず、報道の在り方を考えてほしいと望んだ。
 澤さんはほかにも、裁判所が弁護士への処分を求める「措置請求」や、法テラスの発足で法務省が国選弁護人を雇う形になることなどを挙げ、司法改革の現状を憂慮した。
■市民自治とは遠い妥協の産物
 シンポジウムに移って、平川さんは裁判員制度の導入を、刑事司法への市民参加だが1990年代からの司法制度改革の流れに沿った政府や裁判所、国会の妥協の産物であり、本来の市民自治の在り方とはほど遠いと批判した。英米の陪審制は有罪か無罪かだけを決め検察側の上訴はできない仕組み。欧州各国の参審員制は裁判官と同じ権限を持ち法解釈にものを言える。これに対し、日本の裁判員制度は一つの事件にだけかかわるのは陪審員と同じだが、裁判官と一緒に議論するのは参審員と同様とどっちつかずの形だ。
 政治改革として小選挙区制が、行政改革では省庁統合があったが、司法改革には裁判の市民参加が急浮上した。裁判所として本来は実現してほしくないのだが、市民が入るのは不可避とみて、影響が少ない形のシステムを選んだ。刑事司法に問題があるとの認識があって始まったわけではないと説いた。
■大枠は変わらないが…
 渡辺さんは犯罪報道について、ここ15年に報道機関は見直しを進めてきており裁判員制度になっても報道の「大枠は変わらない」というものの、初めから犯人視報道をしない書き方などを予測する。長く新聞社にいた経験から、変わらねばならないという自覚は報道機関にあるとみる。報道による先入観は避けがたく、今も裁判官は報道の影響を受けている。裁判員制度の在り方に影響を与えられるよう、メディアを市民のものにする努力が必要と持論を述べた。
■事実が分かると報道少なく
 澤さんはあらためて、事実がさして分からない段階で警察の発表による大きな報道があり、事実が分かってきたら少なくなると、マスコミの報道スタイルを批判。平川さんもマスコミは刑事裁判の手続きを分かって報道しているのかと疑問を投げかけ、検察側の冒頭陳述で「このような事実を明らかにした」と言う一方で、弁護側は「何々と主張した」とパターン化した記述を使い、検察の主張の方を事実という印象を持たせてしまうと分析した。
■取り調べの可視化は全捜査過程で
 渡辺さんは、供述内容の報道は今後もあるだろうが、否認の場合は見出しにするなど報道側の「きちっとした」対応を求めた。裁判官は被告の自白を尊重しがちだが、取り調べの可視化がすべての段階で実現すれば、不毛な議論は必要がなくなると期待した。
 取り調べの可視化には澤さんも、一部だけでは任意性を認める証拠にされかねず、取り調べ全体でないと意味がないとくぎを刺した。平川さんは、米国では弁護士の立ち会いのない取り調べは証拠にならず、取り調べ期間も短いのに比べ、日本では23日間拘束し自白追求型の捜査となっていると批判した。
■市民自治なき危うい制度
 平川さんはさらに、英国の裁判は13世紀のマグナカルタの時代から国王の勝手な裁判は許さないという市民の闘争があり、欧州ではギルド(同業者組合)のもめ事はギルド内で解決するという市民自治の伝統があったと紹介し、日本の場合はこのような伝統のないところで重大事件の裁判をやれという無理があると、制度の先行きを危ぶんだ。
 渡辺さんは裁判員の守秘義務についても、処罰を背景に接触すらできない状態にして事後検証の手段が全くないと憤り、米国に統治されていた時代の沖縄で米兵に対する殺人罪で起訴された男性が陪審制の下で無罪となった経緯を描いたノンフィクション「逆転」(伊佐千尋著)は、裁判で話されたことがすべてオープンだったから書けたと検証の必要性を訴えた。
■問題点を報道できるか
 シンポジウムの締めくくりに平川さんは、適正手続や真実の解明よりも「迅速」を優先する現在の刑事裁判の処理が是正されないまま、裁判員制度を口実に市民がこれに協力させられる恐れがある問題点をメディアは報道できるかと疑問を述べ、渡辺さんはメディアが検察や裁判官を批判しないというタブーを脱却し、犯罪報道についての謙虚な問い直しをメディアに望んだ。澤さんは日弁連が「改革」の流れに乗ってできた制度だが、守秘義務などの欠陥は早急に改正するべきだと述べ、市民の監視や行動への期待を語った。(了、文責=運営委員・山本) 


カテゴリ: 活動報告 
投稿者: yamaken, 投稿時刻: 19:07 | コメント (0)
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